視点ABC(第一回かぐやSFコンテスト選外佳作)

 あれは2020年7月のこと。ゲンロンSF創作講座の最終実作が書けねえ~~~~~~と唸っていたら、いつのまにか第一回かぐやSFコンテストに応募していました。“未来の学校”をテーマにした、SFショートショートのコンテストです。最優秀作品は英語と中国語に翻訳してウェブ上に掲載されます。イラストもつくし副賞もあります。すごい。

 応募した「視点ABC」は、残念ながら最終候補には選ばれなかったものの、選外佳作として審査員の井上彼方さん・審査員長の橋本輝幸さんのHonorable Mentionリストに挙げていただきました(やったね!)。なので、こちらで作品を公開します。楽しんでいただけると幸いです。

 また、最終候補に選ばれて現在公開中の11作品も、他の選外佳作も(すべては読めていませんが)いろんなSFがあって面白かったので、そちらも読んでみてはいかがでしょうか。コンテストの最終結果は【8/15(土)】に発表されるとのことです。

virtualgorillaplus.com

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視点ABC

 Aさんがこの学校を選んだ最大の理由は、その自由な校風にあった。日本の高校にしては校則が緩く、なんでも好きな格好ができるというのだ。どんな服装でもどんな髪型でもどんな爪の色でも、完全に個人の自由だと。

 おしゃれ好きのAさんは、入学するとすぐに日々のファッションを楽しむようになった。おこづかいをやりくりして、毎日気合いの入った自分らしさあふれる格好で登校した。金欠のときには、マンネリ感のない着回しを研究したり、友達とアイテムを交換したり、思い切って自作に挑戦してみたりと工夫を重ねた。いつだって手鏡を持ち歩いていて、つねに身だしなみに気を遣っていた。

 ところが入学してからしばらく経つと、自由な校風という評判はすこしばかり誇張されたものだとわかってきた。高校の授業にも慣れてきた初夏のこと、ものはためしに実世界換算で5メートルほどの身長になるアバターを素直に事前申請したらリジェクトされてしまったのだ。先生の説明によると、校舎のモデルがほぼ実寸に近いため、極端に大きなアバターだと天井や壁と干渉して身動きがとれなくなってしまうのだという。言われてみればもっともな話だ。制約は他にもあって、あまり計算量の大きいアバターでサーバに負荷を与えるなだの、スポンサーの競合他社となるブランドは非推奨だの、学校運営上の事情がいろいろとあるようだった。要するに「なんでも好きな格好ができる」というわけではなかった。

 めげずにAさんは自分の見た目を追求しつづけた。先日はシルバーグレーのシャツを着て黒髪を後ろで束ね、ついでにカイゼル髭を生やしてみた。その前は、緑のドレスとゆるくパーマをあてた赤髪でどこぞの人魚姫っぽさを演出してみた。詰襟の学生服に坊主頭でストイックに仕上げた日もある。後頭部を撫でたときの触感のフィードバックがクラスメイトに好評だった。友達から自分の格好を褒められることはあまりなく、むしろ驚かれたり呆れられることのほうが多かったけれど、それでも周りから注目されるだけでAさんにとっては大満足だった。

 そんな目立ちたがり屋のAさんだったから、クラスでひとりだけ、自分にまったく興味を示さない子がいるのにも早くから気づいていた。興味がないというか、まったくこちらが見えていないという感じ。いや、自分だけではなく、他のどの生徒のこともまるで見えていないような。

 呼びかければ返事はあるから、どうやらミュートされてるわけではなさそうだけど。

 それでも最近、Aさんはその子のことが気になってしかたがないのであった。

 

 Bさんは実際のところ、クラスメイトAさんの個性的な格好どころかAさんの存在自体が見えていなかった。また、Aさんだけではなく、他の生徒の姿も誰一人として捉えてはいなかった。

 Bさんの視界では、学校は海に沈んだ廃墟になっていた。藻類が揺れ、深海魚がときおり通り過ぎる。水母のような光源がところどころに浮いており、教室前方のスクリーンだけはよく見える。教室には金属製の潜水服を身につけた自分ひとりだけが存在し、他には誰もいない。このように、深い青に包まれた教室にひとりぼっちでいると、勉強にすこぶる集中できるのだ。

 この排他的な視界は、Bさんが常用している潜水服アバターの、大きなヘルメットの窓に映し出されている。あくまでそういう映像が投影されるデザインの服装であり、けっして他の生徒のアバターを上書きして存在を抹消しているわけではない。そのようにBさんは事前申請時に主張しており、その主張は今のところ受け入れられている。潜水服アバターはBさん本人にしか見えず、周りからは当たり障りのない表情をした当たり障りのない服装のアバターが表示されている。

 音声情報も徹底している。誰かから話しかけられたとき、その声は水中を漂う深海魚から発せられたかのように変換されている。これも勉強に集中するための雰囲気づくりの一環でありけっしてクラスメイトの姿を深海魚に変えているわけではない位置情報が全然違っているし実際の人間とオブジェクトとが一対一で対応しているわけでもないじゃないかそういうデザインの服なんだこれは人権侵害ではないとBさんは入学以来ずっと主張している。

 だからBさんはクラスメイトAさんの個性的なアバターを一度も見たことがない。深海魚たちの話によるとどうやら日替わりで異なるファッションを楽しんでいるらしいが、Bさんにはその楽しさがまったく理解できない。そもそもAさんとも、誰ともつるみたくなんかない。

 そんな堅物のBさんにとって、悩みの種となっている人物がひとりいる。それは担任の先生だ。自分が構築した深海の教室で、なぜかその先生だけはそのままの姿で視界に映ってしまうのだ。周りの風景から浮いているどころか、ヘルメットを突き抜け、重畳遠近法をガン無視して視界に入ってくる。声も深海魚にならない。邪魔すぎる。

 おそらく教師のほうがサーバ上の権限が強いからそのように表示されているのだと思われるが、それにしてもどうしてこの先生だけ。これじゃあちっとも集中できない。

 担任の先生が受けもつ数学の授業中、Bさんはずっと先生を睨みつづけている。敵意をふんだんに込めた視線がヘルメットの内側から照射される。しかし外側から見たBさんのアバターは、相変わらず当たり障りのない表情をしている。

 

 C先生が教師になってから実に四十年が経ったが、近頃の教育環境にはとてもじゃないがついていけないというのが正直な思いだった。

 オンラインには賛成だ。バーチャル空間での授業もまあいいだろう。与えられた見た目による束縛から解放されることも重要だと思う。だが、教師が生徒の顔を見られないというのはどうなのか。それはものを教えるうえで非常に問題があるのではないか。アバター同士で見せたい姿だけを相手に見せて、はたしてそれで本当にコミュニケーションできていると言えるのか。

 それとも、これももう古い考え方なのか。みんなコミュニケーションの新様式に適応できていて、自分のような老人だけが取り残されているのだろうか。そう、C先生は毎晩悩んでいる。

 とはいえC先生にできることは、せいぜいクラス担任という権限を存分に利用することくらいだ。

 まず、自分のアバターは現実の自分そのものに極限まで近づけ、全身の動き、表情、視線、その他非言語的なメッセージの何もかもを正確にそのまま出力するようにする。すくなくとも自分の放つメッセージは現実のそれと同等にすることで、ジェスチャーや目配せなどの表現がこぼれおちないようにする。

 また、生徒たちから出力されるメッセージもできるかぎり取りこぼさないようにする。素顔の映ったカメラ映像などはプライバシーの観点から取得できないし取得したいとも思わないが、担任権限の範囲内にある各種トラッキング情報、事前登録されたアバターや持ち込みオブジェクトの特徴、アンケートや授業態度に基づく興味嗜好、過去の発言、成績データなどを統合して、それらを基にした分析結果を生徒たちのアバター付近に数値や文字列として適宜付加する。すこしでも生徒たちのことをより深く理解できるように。

 そんな教育熱心なC先生なので、数学の授業が終わったあとの休み時間も観察を欠かさない。周囲とほとんど交流しようとしないBさんも気になるところではあったが、今まさにマークしているのはAさんのほうであった。細かく左右に揺れる首の様子から察するに、どうも何やら良からぬことを企んでいるようなのだ。その挙動不審な動きは、一年の夏のはじめに巨大なアバターを申請してきたときのそれと一致していた。右腕が背後に回されているのもあやしい。

 まさかあいつ、今度は無許可で何か持ち込んだか。

 Aさんは首をひょこひょこさせながらBさんの座っている席に近づいていく。

 

 Aさんは、ただBさんと仲良くしたかっただけだったという。持ち込んだオブジェクトもいつもの手鏡で、特に申請が必要というほどでもない。Aさんは、当たり障りのない顔をしたBさんに、アバターの一時的な上書きすなわちメイクを教えてあげようと考えていた。ただ、Bさんを驚かせようと無言で顔の前に手鏡をかざしたのがまずかった。

 Bさんは、C先生から視線を外して目を休ませていたところ、いきなりヘルメットを突き抜けて手鏡が現れたのでひどく混乱した。自分の険悪な顔を目の当たりにしたからではない。ヘルメットの内部など顔も何も設定していなかった。そしてそれが問題だった。手鏡がその鏡面に映すものは未定義で、Bさんの視界にエラーが生じた。

 C先生は、Bさん付近の数値がのきなみ異常値を示すのを見て、慌ててBさんのもとへと駆け寄った。

 Aさんは自分の服装が震えていることに気づいた。自分が震えているのではない、服だけが震えているのだ。だんだん布地が海藻のように見えてきた。急に大声を出してやってきたC先生のほうを見ると、カイゼル髭が生えていた。よくわからない数字が表示されていた。

 Bさんの視界では、C先生はその手鏡を突き抜けてBさんの目の前に表示されていた。変な髭が生えている。何も映さない手鏡よりも手前に表示されるC先生は、はたして鏡に映るべきだろうか。エラーにエラーが重なっていた。ヘルメットの窓が壊れて水が流れ込んできているような気がした。

 C先生は教室中の数値が上昇しつづけていることに気づいた。文字列もグリッチがかかって何ひとつ正しく表示されない。周囲が青みがかってきている。あれは人魚姫か? 光がまぶしくてよく見えない。負荷がかかりすぎている。

 そして、サーバが落ちる直前の一瞬。

 三人ははじめて同じ光景を見た。